おうちサーバの功罪。

おうちサーバというのは、UNIX系で遊んでいた人にとってみればいわば憧れみたいなもので、自分でドメインを取得してサーバを立てて、メールとかウェブサービスとかどこからでも自宅にアクセスできるとか、まあそんな感じである意味自己満足の世界なわけですが。もちろん、自己満足だけじゃなくて有意義なサービスを提供したりしている人もいるでしょうけれど。

ただ、最近思うのです。おうちサーバの寿命について考えてしまうのです。

おうちでサーバを立てるということは、つまり管理者は自分。持続性はよほどのことがない限り一代限りです。
すると、そのサーバで提供していたサービスも、管理者の消滅とともに消えることになります。たとえそこに人類にとって有益な情報があったとしても。

自分も、憧れだったドメインを取得しておうちサーバを運用していますが、もしや外部のクラウドサービス的なものに切り替えられるならそのほうがいいのでは、などと考えてしまうこともあります。

ブログやWikiなどで書き溜めた情報もたくさんあります。技術的な情報は古くなると相対的に価値は低くなっていくものですが、一方で古い情報がなくなってしまうというのも問題があります。ファンタジー物などでよくある「古くから言い伝えられている禁忌」が忘れ去られて…みたいな感じで。それがいつ、どのような形で必要になるのかは現時点では判断できませんが、可能性ということで言えばどんな情報でも意味がないとは言えないでしょう。

そうすると、おうちサーバはあくまで「技術的な好奇心」を満足させ、あるいは向上させるのには有意義ですが、その成果はどこか永続的な場所に置いておくべきではないか、などと考えてしまうのです。

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